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藤子不二雄A氏とF氏の関係は!? 2人の作品や経歴、コンビ解消について!

2022年4月7日

漫画家の藤子不二雄A(本名:安孫子素雄)さんは、藤子・F・不二雄氏(本名:藤本弘)とともに「ドラえもん」「怪物くん」「ハットリくん」などの大人気作を手がけました。

今回は藤子不二雄A氏と藤子・F・不二雄氏との関係についてまとめてみました。

 

藤子不二雄は1人ではないの!?

若い方の中には、ドラえもんを描いた「藤子不二雄」というペンネームが、2人の人物だったということを知らない人もいるかもしれません。

2人のペンネームの由来は諸説ありますが、有力な話としては、まず「藤」本弘のフジと安孫子素「雄」の雄をとって不二雄という名前を考えました。

その後、名字の方も2人の名前から「藤」本弘の藤と安孫「子」素雄の子をとって、藤子というペンネームにしたようです。

2人は長い間、「藤子不二雄」というペンネームで共作していましたが、後述する、ある事件をきっかけにA氏・F氏とペンネームを分けて制作することになったのです。

 

ドラえもんはどちらの作品!?

日本を代表する大人気漫画である「ドラえもん」はほぼ藤子・F・不二雄氏の作品といっても良いと思います。

藤子・F・不二雄氏が手がけた漫画

「ドラえもん」「パーマン」「キテレツ大百科」「エスパー魔美」

藤子・F・不二雄氏は人づきあいが苦手で、子どものときと変わらない純粋さで児童向けの漫画を描いたといわれています。

 

いっぽうで藤子不二雄A氏は、青年や大人向けの漫画を描くことが多かったです。

藤子不二雄A氏が手がけた漫画

「忍者ハットリくん」「怪物くん」「笑ゥせぇるすまん」「プロゴルファー猿」

初期のころの「オバケのQ太郎」は貴重な共著だとされています。

 

両・藤子不二雄氏との出会い

2人は富山県の出身で、小学5年生の時に出会って合作で漫画を描き始めたのがきっかけです。

藤子不二雄A氏は高校卒業後に富山新聞を退社して、藤子・F・不二雄氏と共に上京して、伝説の「トキワ荘」で漫画家生活をスタートさせました。

トキワ荘には「鉄腕アトム」「火の鳥」を描いた手塚治虫氏や、

「仮面ライダーシリーズ」の原作や「サイボーグ009」の石ノ森章太郎氏

「天才バカボン」「おそ松くん」「ひみつのアッコちゃん」の赤塚不二夫氏らが住んでいたのです。

 

最後は喧嘩別れ!? 2人の関係性はどうだったのか

1988年に2人はコンビを解消します。その理由は何だったのでしょうか?

小学生時代からコンビを組んでいた2人が喧嘩別れだとすると悲しい話ですが、実情は違います。

コンビを解消した理由は、2人の家族関係がこじれるのを防ぐためだったのです!

 

2人の関係は小学生時代から変わらず良好で、どちら名義の作品にも関わらず著作権料は半分ずつ折半していました。

しかし、2人の家族の関係性が微妙に変わってきてしまったのが原因で、コンビを解消したといわれています。

 

藤子不二雄名義の漫画の著作権は、2人が設立した藤子スタジオが管理していました。

そのスタジオの社長に我孫子さんのお姉さんが就任してから、スタジオ内のパワーバランスが崩れてしまったそうです。

どちらかの死後に、「ドラえもん」の巨額の著作権料がもとになって、遺族間でトラブルになるのを恐れてコンビを解消することにしたそうです。

 

まとめ

今回は藤子不二雄A氏を惜しみながら、藤子・F・不二雄氏との関係についてまとめてみました。

 

藤子不二雄A氏や藤子・F・不二雄氏が描いた漫画は、今では日本のみならず世界中で親しまれています。

子どもの頃から読んでいた大好きな漫画の作者が亡くなってしまうのはとても残念ですが、作品は永久に残り続けます。

お2人の残した偉大な業績は、今後も忘れられることはないでしょう。

 

最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました!

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